最近は強度というものが大事だなと思っていて、どれだけの強さを持っているかで舞台で演奏する際における本来の力の発揮力に繋がると思う。

音楽の強度って響きが結構気に入っている☆

期待値ってのは音楽を共にするにしても、面と向かって話すにしても必要なこちらから相手に期待しているいわば人間としての強度だ。

日本に帰ってきてから沢山の人と出会い沢山の人と時間を共にして、ドイツでの生活なんて自分のホンノ一部分でしかなくて、いやそら一部分なんだけど、でもそこで培われた自分の中の人、特にこれから共にするかもしれない期待させられる人に対して求める物ってのは、やっぱりある一定のラインというのが引かれていて。

それはこちらで勝手にひいている物だし、そんな事を知りもしない人達にとっては迷惑千万なんだけど、ストイックさとか音楽に対する姿勢とか自分の未来に対する不安とか、その人間らしさのすべてが僕にとっては物足りなくて。

わたし自身の未来はこうなりたいとかああなるべきだとかいう具体像はやっぱなくて、酒を呑みながらおいしい料理を食べている所しか想像できなくて。

自分自身ではコネクションを作っているつもりはなくても、相手が私を求めてきたらそれはれっきとした自分で作り上げた物で誇っても良いんだろうなと思う。自画自賛だけどね。

自分で選んだ道に誰かがよってくれる。それだけで幸せなんだけどやっぱり僕にはなにもかもが足りないままなんだよね。

いっそのこと土下座でもしてみたら?道は開けるんじゃない?

って言われたけどまあそういうこっちゃないんだしね(笑)

でもやっぱり戻れるのなら戻りたいよね☆

あの頃と同じでちょっとだけ違う今のわたしと今のあなたと。

試す事は常日頃赤子の頃からそうなんだろうけど、最近は試される事が多くなってきて。だからどうこうはないんだけど、それって視点を変えてみればいつだって試されていたわけで。

挑戦しているなんて、少年誌でなら必須の売り文句なんだろうけどそれは見定められる環境に身を投じるのと同じで、結局人々の目からはどうやったって逃れられないのだ。

求められているモノが理解できていればそのラインを少しでも越える事にこした事はないわけで、ラインに少しでもたどり着けない、あるいはぎりぎりライン上でもそれはダメなわけで。

でもそのラインが自身の中で大体ここだなって判明しだすと途端に質は向上を止めるどころかわからないままにぼろぼろになっていくようで。ライン上ギリギリ少し前を常にキープできるようになるんだろう。

自身が不器用だからドコにラインがあるのか解ってはいるものの、大体がそのラインを大きく越えてしまっているか、消しちゃうんだよね。そういうのが許されているのは結果が出ているから何だろうけど。どうだろう。

こんだけラインラインって書いたけどLINEは見た事もないんだなぁ。

すごいね。ほんと、笑っちゃうくらいに☆

今日、4月7日という日は何の事のないただの一日なんだけど、まああれよこれよと色んな事が起こった。気がする、て事になったのは何の気無しにこのページを開けたから。

省みる時間があるならいいじゃない。何の希望も無しに路頭に迷い込んでしまってもどこかで抜け出せる。

抜け出せないのならその路頭を制覇する!

オレは路頭マスターになる!

なんてね。

ながーいトンネルを抜けたらそこは普通のいつものかわらない自分☆

意外と長かったトンネルにいたかのような時間がやっとすぎた。きっかけはどうこうとあるんだろうけど今は前に進める感覚があるからそれはまたその時に考える。そういう日だったしね。

新年を迎える準備は万端だったんだけど、頭と体はそれに応えてくれず、だらだらと時間を消費するだけの毎日だったけどそれも今日で一旦さよなら。

だからといって練習に明け暮れるわけじゃない。なんとなく本を読んで映画を見てなんとなくなんとなくピアノを触ってみたり何の気無しに女を抱いてみたり、いつだってやる事は変わらないけど、なんとなくが取れるだけで自分の存在意義が明確になる。

意義なんてないってね。

あけましたねおめでとう☆

あーあ。って感じ。

知り合いが受かっているのを見ると昔は悔しかった(?)疑問に思ったりもしたけど、そんな感情に浸って「なにくそー!!!」って練習しまくって「次こそー!!」と次のなにかに向かう力が働くんだけど、流石にそういう暇もなくただ突きつけられた事実が昔の事のように時間だけが過ぎていく。

こういうのも自分自身を磨けなくなる一因になるんだろうな。。。

でも今は目の前の仕事をきっちりとこなしていく!

それだけでもなにかにつながる!

今までにない最高の演奏をそまければいけない。

だからといって、それの演奏が完璧であってはならない。

二律背反だね。

電車に乗ってふと前に座っている人を見ると「うわー☆そっくり☆」まじで?ってくらいの出来映えに本当に腰を抜かすかとだった。ただそこから20分ほど電車に乗っていたんだがその彼女の所作ひとつひとつになんの美しさもなくてがっかり。せめて見せてくれるんなら完璧なまでに再現とは言わないまでも美しく見せてくれよ!大きなあくびをしてだ、鞄をがさごそしてだ、目線も美しくなければ、っておまえ誰だよ!!!

いやあ、これで、あれ?わたしだよ!って言ってくれればそれはそれで良いんだけどね。

時間が過ぎるのが早すぎて毎日なにをしているのかわからないくらいめまぐるしくて、それはそれでオッケーなんだろうけど日々の温もりでなくとも今日を生きたって実感はやっぱり欲しくて。びりびりにしびれていたいんだろね。そうやっていつだってピンチー!に陥って楽しんでいるんだと思う。生きるか死ぬかってのはまだ全然経験した事ないけど、同じようなもんだと思う。心から。

流されていくのも風情があってよろしいが、流れたものってきっとずっと帰って来なくて、でもまた次に何かが流れて来るだろうってどこかで期待しながら待ってて、でも期待だけして生きていけるわけじゃないから、別の事に気をとられているうちに待ってる事すら忘れてしまって、何が流れていったのかなんてさっぱりわからないようになって、そもそも、なんで待っていたのかなんで期待したのかも思い出せなくなって、でもそれが生きる為には必要な行為なんだってどコカで思わなくてはいけない気がしてきて、ってこんな人生はまっぴらだ。

僕は免許も道路もいらないから、せめて車とドライバーは欲しいね。

どうにかしないとってあたふたしたって仕方がない事なんだけどせっかくつかんだチャンスはものにしないと後々引きづりそうだから。世間体(?)では若くはないんだろうけど社会的基盤から言うとまるっきり若手だからね、そういう利点は多いにあるんだと思う。

どういう意図でそこに行けたのかはしらないけど求められているからこそそこに行けるわけで。じゃあ具体的に何をしたらいいのか?って問いにはまったく答えはでてこない。

あたりまえだ、コレペティなんてした事ねーし☆それも経歴を見れば一発でわかるんだから、それでもなにかあるんでしょう。あるんでしょ!まあ模擬レッスンとかしたくねーんだけど。初見もいやだな。

あらん、みそばーさん?おめでとう!

最近、言葉に不具合が生じていて、伝えたい事とか聞いて欲しい事が文字に出来ずに積もっていく。何かを生み出そうとしている期間だ、なんてポジティブに考える事も出来るんだろうけど、産みの苦しさを味わうところじゃないし不思議。脳に欠陥があるって言えばそれまでだし、それまでなのならそれはそれで良い。

信頼というのは時間が助けてくれるわけでも言葉が伴うものでない。

でも言葉にするとやっぱり照れるよね。